「通り道」でいられるしあわせ
通り道
どこにあっても。
誰といても。
通り道でいられる時、しあわせだなと思います。
そんな心地よさに氣がついた時、氣持ちよく生まれてきた言葉を故郷の大好きな風景と合わせてみました。
「わたしのことは見えなくていい」
元来、我の強いわたしという人間の中からもそんな感覚が育まれたのは、レイキに長く触れてきたおかげでしょうね。
また、こうしてレイキをお伝えさせていただくことを仕事として選んだことも大きいかもしれません。
そうでなかったら、いくら好きだとはいえ、レイキに対してここまで真摯であれたかどうか自信がありません。
自分なりにレイキへの理解を深めていくことで、あたらしい感動を掘り起こしていくこともまた、レイキをお伝えしていく上で欠かせないことだということを、身をもって学んだからです。
同時に、ただ漫然と実践しているだけでは、どんなに良いものでも時とともに色あせていくものだということも教わりました。
この力は一体何なんだろう?
とはいえ、こんなにも安らかで、人を受容的にするこの力は一体何なんだろう?
この問いは、いつもわたしの中にあります。
この見えない力のより良い伝え方、わかりやすい言葉はないものかといつも考えています。
かと言って、あまり頭でっかちになっても面白くありません。説教くさいのも、わたしは好きではありません、笑。
わたし自身が、レイキそのものを体現できるよう生きていくこと。
それが一番大切だと思っています。
つまりは・・・。
わたしの生きざまがそのままレイキの理解である、ということですね。
the Beauty of Reiki!
今日は、冒頭に掲載した写真と言葉の氣持ちよさにひっぱられて、この記事が生まれてきました。
何年ぶりでしょうか。the Beauty of Reikiのコーナーに、わたしという存在の意識の成長記録として記しておきたいと思います。