自分のヒビキ2
ヒビキがわかるようになると、レイキの面白さが格段に増します。
ヒビキが分かると、変わりゆくヒビキに耳を済ませていることで、雑念が湧きにくいですし(まぁ、別に湧いてもいいのですが、笑!)、何よりレイキをしていくことで変わりゆくヒビキの反応を観察することは、非常に興味深いことです。
これは、人に手を当てる時だけでなく、自己レイキに関してももちろんそうですね。
ところが、レイキをはじめてヒビキが分かるようになった方でも、自分のヒビキはわからない、という声を時々耳にします。
これは、非常におもしろいのですが、長くレイキをしていても、自分のヒビキはわかりにくい、という人は案外多いように思います。
☆
レイキというもの。何が便利かといえば、自己レイキにより自分の心身のケアができることです。
ならば、自分のヒビキもぜひともわかるようになりたいものですね。
実は、自分のヒビキがわかるようになるのと、そうでないのとでは、自己レイキの継続力に大きな差が出ます。
☆
自己レイキを継続できない人の声を聴くと、「自分で手を当てていてもヒビキがよくわからない。」ということがあります。
手を当てていてもヒビキがわからないと、効果があるかどうかも実感できなくて、続けていることが不安になったり、自分に興味を持って手を当て続けることが難しくなってしまうのでしょう。つまり、おもしろくないのですね。
逆に、自己レイキしていても、他人にレイキをするように自分のヒビキがよくわかれば、ヒビキの変化自体が興味深く、レイキをすること自体をおもしろがっているうちに、自分へのレイキ時間が自然に長くなることでしょう。
痛みなどがある急性の症状にレイキをする場合は、「痛いから手を当てる」ということができるのですが、痛みや症状などのないところをヒビキを感知しながら、未病の段階でレイキをしていくという技は、ヒビキの感知なくしてはなかなか難しいところです。
☆
レイキを習ったけれどもうまく活用できていない、という方。
ここは、ぜひとも、自分のヒビキが分かるようになって、レイキをご自身の生活に活かせるようにしたいものですね。
☆
先日こんな方がいらっしゃいました。
レイキが大好きで、他の人へのレイキは、いろんなヒビキを感知しながらどんどん手を当てられるという方なのですが、 それに反して、案外自分へのレイキが思うようにできない、ということでした。
よくよくお話をお伺いしてみると。
自分で手を当てていてもヒビキを感じられないので、手当が継続できない、と。(慢性のもの、長年抱えていた冷えなどに、レイキで効果を出していくには、ある程度の時間レイキをしていられることが必要です。)
そこでこんなアドバイスをさせていただきました。
その1。早く治したい、効果を出したい。という心の想い癖にとらわれていないかな?
レイキは、ゆだねる気持ちが功を奏します。痛みや違和感がある場合は、そうした心地の悪さから早く逃れたいという気持ちが起こるのは止むを得ないことでしょう。しかしそうした心境に飲み込まれてしまうと、レイキの流れが阻害されてしまいます。
つらいかもしれない。心地良くないかもしれない。
けれども、結果を気にせず、ゆだねる気持ちを大切にしましょう。
その2。自分の体を気遣う心持ちで。
ヒビキを感知する、その心は、「調子はどうですか?」と相手の様子を気遣う心と同じです。
それが自分の体となると、とたんに興味を失ってしまう人がいるかもしれませんが、自分の体にこそ、「調子はどうですか?」という気持ちを大切にしましょう。自分の体への純粋な興味と思いやりが、鍵になるでしょう。
分かろう分かろうとすると、かえって力が入ってしまいます。
自分の体に手を当てたら静かに待ちましょう。
レイキをすること自体の心地よさに身をゆだね、在るがままにまかせましょう。
☆
ここまで読まれて気が付いた方がいらっしゃるかもしれませんが、こうした意識は、現実世界を生きる上でもとても大切なことですね。
ゆだねる。
あるがまま。
思いやりの心。
自分との関係性においても、他者との関係性においても、こうした視点は、たがいの関係性を滑らかに豊かにしてくれます。
昔から、レイキが精神性の向上にも役立てられてきたのは、こうしたこととも関係があるのかもしれませんね。
☆
あせらず、おこたらず、じっくりと。
ご自分にも他人にも。思いやりを持って、ヒビキを感知する感性を磨いていきましょう。
風の城はそんなみなさまを心より応援しています!!!