泣きたい氣持ち

kudaka1

旅からもどって好転反応

旅いう非日常。
沖縄という別世界。

こちらに戻っておよそ一週間。

旅からもどった直後はとても元気で、やっぱり沖縄のパワーはすごいんだなぁ、なんて感動していたのもつかの間。

思いがけない好転反応にちょっとびっくりしてしまいました。

短い間に、わたしという個性のネガティブな側面を凝縮して見せられました。

それは、心の痛みをともなうものでしたが、わたしの中でいまだくすぶっていた古い思考パターン、感情のエネルギーがめでたく解放されていきました。

おかげさまで、その変化は体にも表れており、もどってから、身体の柔軟性が増しましたよ。

意識の変化は、心と体にも反映されますね。

泣きたい気持ち

それは、沖縄から戻って翌々日の、太極拳のクラスの時にやってきました。

その日は、朝から氣持ちがもやもやしていておかしいな、と思っていたのですが、電車での移動時にレイキをするなどして、自然に抜けていくだろうと気にもしていませんでした。

ところが、クラスが始まり套路に入ると、ある瞬間、わたしの内を泣きたいような気持が一氣にかけ巡り始めました。

と、同時に、人生のある時期まで何度も繰り返していたわたしのよくない態度が、 一瞬にして想起されたのです。

なんともいたたまれない気持ちでそのまま套路を続けましたが・・・。

ここがヒーリングの場であるならば、おもいっきり泣くんだけれどな・・・。そんな気持ちがわたしの中を支配していました。

そんなわたしに、先生や、クラスの仲間が気が付かないはずがありませんね。

「心ここに在らずだね。」
「今日は、色が真っ黒だよ。いつもと正反対だよ。」

などなど、みんなはいつもと印象が違うわたしについていろいろと感想を言ってくれました。

そして、先生がひとこと。

「太極拳は、元氣で行うものだよ。 そうでない氣持ちから行えば、それは邪氣になる。」

子供の頃のくせ

またしても、やってしまったのだ。

わたしは、子どものころから、ネガティブな気持ちに取り込まれると、それを周りに公害のように放ってしまうということがよくありました。

よく覚えているのは、子供の頃は寝坊助で、寝起きの不機嫌さをよく母親に注意されたなということ。

子供の頃、両親にはとても大切にされていたし、精一杯の愛情を注がれていたのにもかかわらず、わたしにはこの世界にいることの不安や恐れが付きまとっていました。

とりわけ、戦争になったらどうしよう、と子供ながらいつも心配していました。

でも、眠っている間は思考が働かないのでそんな心配や不安、恐れから解放されます。

だから、眠るのが大好きな子供でした。

今思えば、寝起きが悪かったのは、日が昇ればやってくる日常の世界に戻っていくのが、嫌だったのだと思います。

本当に目覚めが悪いので、寝起きの良い妹からは、わたしを起こすのを嫌がられるほどでした(笑)。

今思えば、この世界に戻ってくるのが嫌なうえ、無理やり起こされて不機嫌極まりない態度だったのでしょう。

しかし、この感覚がかわったのは、レイキを始めてからですね。

レイキを習い始めたころから、朝の目覚めがとてもよくなりました。

毎夜、自己レイキをしながら眠りにつくことで睡眠の質が改善したのもその一因かもしれませんが、それだけじゃないような気がします。

レイキを始める少し前に、「愛」というものの本質に氣が付いたことも大きくかかわっていると思います。

つまり、この世界で生きることの喜びを感じ始めてから、目覚めがすっきりと変わってきたのです。

あの、目覚める時の重たさ、どうしたって目が開かない、開けたくない、ここ(寝床)から離れたくない、という強烈な感覚が、今では懐かしいくらいです(笑)。

泣くという癒し

あの日。

太極拳のクラスで、わたしの内を駆け巡った「泣きたい氣持ち」。

それは、思い通りにならない(と思い込んでいる)現実へのくやしさ、わたしなんて、という氣持ちなどなど、わたしの中のネガティブが一氣に表現されたものだったんだと思います。

本当は、あのクラスの時に我を忘れて泣いてしまえば、すっきりしたのかもしれないけれど、あくまでもそこは太極拳のクラス。

個人的なヒーリングのスペースではないという意識から、そういう氣持ちにはなれませんでした。

だから、その後、きっかけを見つけて、二度ほど泣きました。

わが人生のパートナーにも胸を借りましたね。

その手の平であたまをなでられた時、手の平の労宮というポイントから、じ~んとエネルギーがあふれてくるのがわかりました。

この人は、今、心からの愛で、わたしに寄り添ってくれているんだな・・・。

そう思うと、またありがたくて涙が出ました。

mandara

そうしたら、その後は、もやが自然に晴れていくように、この人生で体現していきたいわたしの道が見えてきました。

もちろん、自己レイキをしつつ、仕事の合間を縫ってよく眠っておりました。(今でも眠るのは好きです^^。)

その間。

ほんの数日のことではありますが、わたしが、自分自身を信じる手助けをしてくれたのが、 久高島で描いた曼荼羅でした。

沖縄への旅は、この曼荼羅に出会うためだったかもしれない。

そう思わせてくれるほど、わたし自身のことを教えてくれる作品となりました。

今は、プライベートスペースに、沖縄で買い求めた小さなシーサーとともに飾ってあります。

もうひとつのメッセージ

今回のこの好転反応。

沖縄という地で高まったパワーによって、抑圧されていた古いものが表現されてきたんだろうと思います。

レイキを実践しているとよくわかりますが、エネルギーには層というものがいくつもあって、一度に癒すことのできる層には限界があります。

旅に出るという非日常。沖縄という地のパワー。そして、わたしの「生まれ変わりたい」という意思も手伝って、深いレベルに滞っていたものが出てきてくれたのでしょう。

そして、もうひとつのメッセージ。

それは、「痛みを忘れてはならない」ということ。この体験を経て、痛みというものに、より深い共感をもって(しかしそれは、同調するのとは違います。)寄り添えるようになった氣がしています。もちろん、あくまで当社比ですが(笑)。

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この旅に出る直前。
おのころさんのセミナーでのキーワード。

痛みとは逆行。
痛みが器を広げる。

とても心に響いていたのですが、実際、沖縄の地での単独行動では、わたしは意図せず、 首里城を「逆行」していたのです。

つまり、旅の始まりから、痛みを伴う変容が待っていることを示唆されていたのかもしれません。

おかげさまで、この好転反応を終えてはじめてのレイキ練習会こかげの会では、ご参加者からこんなメッセージをいただきました。

先日のこかげの会の時、お伝えしないままでしたが、先生の手の感触がまた一段と柔らかく感じたのです。
暖かさが優しいなぁ~と。そして、何か頼もしさ?を感じました。安心感と言った方がいいのかな・・・。
だから、下腹部が太陽になったみたいに感じられたのかも・・・。

(中略)

自分に何もしてあげなければ、レイキがバージョンアップするはずありませんね。
健康管理の上、感動のある暮らしをしてこそ、自分への愛もレイキパワーも広がるんですね!
感動が、心身にもたらす驚く程の力を、かおる先生の姿を通して感じました。

(60代女性Mさま)

内なる変化は、自分で認識できればそれでいいのですが、こうして、外側からも何等かの形で感じ取っていただけることはとてもうれしいですね。

こういう分かち合いができるとき、まさに内なる創造からの広がりを実感するひとときです。

Mさま、分かち合いをありがとうございます。
そして、こうして言葉にしてくださったこと心より感謝申し上げます。

次の旅がいつかはわかりませんが。

出会い(出愛)を大切に。

生まれ持った自分という個性を輝かせて生きる旅を、嬉々として続けてい行きたいと思います。

2015.12.11 新月の夜に

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