「レイキの詩をつくったよ」~小学校2年生の女の子より~

小学校2年生の姪が、とてもかわいらしいプレゼントをくれました。

「レイキの詩をつくったよ」と書かれた家型のメッセージカードとともに、ハート型に折られた折り紙を広げてみると、「レイキのことばあそび」という文字の下に、なにやらメッセージが・・・。

姪は小学校に上がる前から、折り紙とテープでいろいろなものを作っては、まわりの大人や出会う人に渡します。字を覚えてからは、「だいすきだよ。」「・・・してくれてありがとう。」とか、「またいっしょにあそぼうね。」なんてかわいらしいメッセージが添えられています。

だれに教えられなくても、人に対する好意を表現する喜びを彼女は知っているのだなぁ・・・。

彼女の行動を見ているとそんなことを感じさせられます。

姪は、妹のお腹に宿った時からレイキを体験しています。

妹自身もレイキが使えますし、わたしも、2歳になるころまでは、1週間に一度はレイキをさせてもらっていました。

すくすくと育った今では、わたしが彼女にレイキをさせてもらう機会はなくなりましたが、彼女の人生の中にはレイキがすっかり溶け込んでいます。

不安な時、不調の時、熱を出してつらい時など、母親が寄り添ってレイキをしています。母親がそばにいられない時は、こういうことに懐疑的な父親までもが姪に乞われて手を当てています。

小さい子供のころ、母親がよりそって手をあててくれたら、どんなにか安心しただろう・・・。どんなにか癒されただろう・・・。

そういうしあわせを彼女はもう知っています。

特に、小さい子供にとっては、まわりの大人に手を当ててもらうという行為は、「大丈夫、ここにいるよ。」「ちゃんと見ているから安心してね。」というわかりやすいメッセージになるのだと思います。

手を当てることによって、「愛しているよ。」「大事に思っているよ。」というのが確実に伝わっていきます。そして、互いの関係性の中での信頼と安心が育っていきます。

「何をするのか」ではなく、「どういう気持ちで」目の前の存在とかかわっていくのか・・・。

レイキの手当はその大切さを教えてくれます。(つまり自身の在り方が問われていくわけですね。)それが本質を理解していくということです。

そして、周りの人へとレイキをしていくことによって、その関係性を通じて、純粋な「愛」に目覚めていくのです。

自分だけのレイキに終始していては、そこを育んでいくことはなかなか難しいでしょう。

自分を深く感じることも大切ですが、他者とのかかわりの中で、そこに映し出される自分自身に気づき、それを受け容れていくことが魂の進化につながります。

・・・と、前置きが長くなりました。

大人が話すと小難しくていけません^^;。

小学二年生の心にはどんな風にレイキが映っているのでしょうか・・・。その心をちょっと覗かせてもらいましょう。

書き起こしたものがこちらです。

レイキのことばあそび

イキをしてもらった人

イきもちにもなるし

レイなきもちになるよ💛

実は、先日のアースキャラバンに姪が遊びに来てくれて、風の城のブースでレイキを体験していってくれました。他のブースでも、腹話術を教わって牛乳パックで人形を作ったり、会場で子供向けに行われていた皿回しに挑戦したり、しゃぼん玉でめいっぱい遊んだり・・・。

きっと、彼女にとっても楽しい一日だったんですね!

姪にはレイキのことをたずねたこともないし、どう感じているかは初耳だったので、「こんな風に感じていたんだ!」と新鮮な感動とともにとても心に響きました。

レイキを受けると「いい気持ちになって、きれいな気持ちになるよ」という表現もシンプルながら的確だなあ、と。

なんとも「おばバカ」ですみませんが、「子供が感じたレイキ」をみなさんにもお伝えしたくて筆をとりました。

お付き合いくださりありがとうございました。

ちなみに、「レイキの詩」はこんなハートの中に入っていました^^。

 

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