「咳も息なんですね!」

「咳も息なんですね!」

とある日のヒーリングタイム。

ヒーリング中に何度も湧き上がる咳にも、弱音一つ吐くことなく耐えきったお客様が、ふと漏らしたお言葉でした。

ちょうどお風邪を召していたことと、継続してヒーリングでほぐしている部分が緩んできたことと相まって、前日の夜から咳が出始めたところでしたので、レイキを受けることでそれが一層加速されたこの日のお客様でした。

「そう!そう! そうんなんですよ~。」

あくびも、咳も、くしゃみも・・・。

出るものは、ぜ~んぶ息が変化したもの。

吸って、必要なものをとりこむ。
吐いて、いらないものを出す。

それがスムーズに問題なく運んでいる時、息は深く穏やか。

しかし、緊張があれば息が浅くなり、いらないものを吐き出せなくなる。

咳や、あくびやくしゃみというのは、そうして体にたまったものを吐き出そうとする体の力。

息の変化である。

手を当てているとそういうことがよく分かる。

咳やあくび、くしゃみが出た後は、ヒビキが抜けていたり軽くなっているなど、触れているこちらの感覚にも変化があるからだ。

レイキなど、治癒力を高める療法を行うと、こういう活動が活発になることはよく見られる。

まったくそんな兆候がなくても、レイキを始めると、思いがけないところから咳がでて驚くことがある。(これもよく観察すると、体のどこから咳がでているか、ということもわかる。)

身体に触れる。
そして感じる。
その内側を。

そうして起きていくことを心静かに眺めていることで、「あー、体に起こるこういうことって、こんな意味があるんだな。」という理解が直感的に起こってくる。

わたしが手当で面白いと思っているのは、こういうことを自分の実体験として学ぶことができることです。

これは、何かを読んだり、人から話を聴いたりすることで得られる知識とは違います。

手当という体験を通じて、自分の内側から生まれて来る理解です。

咳やくしゃみやあくび。

それらのものが、身体のエネルギーバランスを整える上でとても大切ないのちの活動であることを実感として理解できることで、それらを無理に止めようとするのではなく、「体の中にある不要なものを出してくれるんだな」と、淡々と向き合うことができるようになります。

もちろん、そうした折にもレイキを使うことで、経過が促進します。

辛い咳が続く時には、決して楽ではありませんが、「ずいぶんと自分の中にため込んできてしまったんだなー」と過去の自分に寄り添いゆっくりと歩むことが必要な時期もあります。

そうした日々の生き方の積み重ねは、命への敬意と信頼を育みます。

「レイキってこういうものだから。」とか
「こうして教わったから。」

というところで止まっているのではなく、自分でレイキをする体験を重ねていくことで、

「レイキってこういうことなのか!」
「先生はあんな風にいっていたけれど、自分はこう感じるぞ!」

などと、自分なりの視点が生まれてくることも、人として大事な力です。

むしろ、レイキという力は、人間をそうした方向へと誘うのではないかとわたしは思っています。

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