「在る」という肯定

日頃から、表を歩くようにしています。

幸い、風の城の近所には森林公園があるので、できるだけその中を歩いたり、ひとときを過ごす時間を持つようにしています。

自然のなかに一人で身を置くことで、心身が寛いで整っていく心地よさがあるからです。

森林公園には歩いて巡るいくつかのルートがあります。

そのルート上に、ひとときを過ごすお氣に入りの場所が点在しているのですが、季節により、またその時の自分自身の状態により快適だと思う場所が違ってきます。

その時々、自分が惹かれたり、ここにとどまりたいと思う感覚に素直でいることにしています。

風の城の由来

風の城を始めた頃は、とにかく「風」が好きでした。

この世界は愛だ!と氣づいて間もなかったこともあり、目には見えないけれどもこの世界を支えてくれている愛の象徴として「風」に、とても親しみを覚えていたのです。

そうして、名付けたのが「風の城」です。

風との邂逅に味をしめたのか(笑)、今では水という存在に対してもとても親しみを感じています。

近頃では、森の水を感じるエリアで過ごすことも多いんですよ。

ちなみに、毎晩のお風呂は、水(湯)の両手の中にまるごとわたしを抱いてもらう至福を堪能しています(笑)。

「在る」という肯定

先日は、小さな水場の傍らで過ごしていると、少し離れたところから聞こえる軽やかなせせらぎの音に、わたしという存在の場が、みるみる癒されていくことを感じました。

ハッとして、その水音にさらに心の目と耳を澄ませていきました。

以下は、そうした体験から掬い上げられた言葉です。


水場で感じられる水の氣配が好きです。

なめらかでシルクのような手触りを思わせる精妙さが場に広がっています。

流れる水の音があればなお良いです。

サラサラと流れていくその有様とこころがひとつになり、人であることを忘れてしまう。

ただ在るという無限の肯定だけが広がります。

自分の都合で良し悪しを判別し、それにより悩んだり争ったりということがないから、根本的に否定という概念が自然にはない。

自然の穏やかな側面に癒されるのは、ひたすらに存在を肯定されているからなのだな。

そんなことを理解した、この日の小さな水場でのせせらぎの音でした。

否定という概念からの自由

そもそも、自然に「否定」という概念はないのだな、という視点が今回の発見でした。

自然体、ぽかんとする、通り道になる・・・など。

レイキのコツを分かり易く説明する言葉はいろいろありますが、それらは、人が保持しがちな「否定」という概念から、とりあえず、今だけでも、簡単に、自由になるためのひとつの方法でもあったのですね。

人もまた自然の一部。

自然に「否定」という概念はないという発見に、自身の深いくつろぎとともに、内なる空間の新たな広がりを感じています。


  

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