彼女のことに、ものすごく興味があったわけではない。
テレビで数度、その歌声を聴いたことがあるくらい。きれいな声の人というイメージ。
彼女の大ファンである友人が、コンサートに行くというので、一緒にチケットをとってもらった。
サラ・ブライトマンについて、目を輝かせながら語る友を見ていて、わたしも、興味が湧いたのだった。
オープニング。舞台の高いところから、女神のごとく登場し、歌い上げる彼女の存在感に、またたくまに、わたしのハートは全開になった。
2曲目。その歌い出しで、彼女の声が響きわたった途端、これほどまでに突き抜けた「ほがらかさ」といったものがあるのだろうか・・・。
わたしは歓喜し、目頭が熱くなった。そして、この時、わたしは、彼女のことが大好きになった。
そうだ。わたしたちは、もともと宇宙をただよっていた光だったんだ。
そして、そこはものすごく自由で心地の良い場所だったんだ・・・。
彼女の背後の巨大スクリーンには、そんなイメージが湧くCGの光が華やかに斬新に繰り広げられる。
心地の良い彼女の歌声。とりわけ高音のファルセットは、普段は行き届かない意識のごくごく繊細なところにまで浸透し、わたしは、彼女が生み出す甘美なそのエネルギーの中に、溶けてなくなってしまいそうだった。
ふくよかな女性美とともに光の中に立つ彼女。
やわらかな肢体、上肢ののびやかな動き。まさにヴィーナスだった。
彼女の中を、無限の豊かさがよどみなく流れ、自分という楽器の性能を最大限にチューンナップして、宇宙の音をわたしたちに届けてくれる。
そんな彼女を見ていると、わたしの中にもひとつのイメージが湧いた。
両手を広げて、思いっきりゆたかさをうけとっているわたしの姿だった。
ゆたかさよ、わたしの中を流れゆけ。そして、周りへと広がりゆけ。
それこそ、至福であり、ゆたかさを分かち合うということ。
才能とは、その人へのギフトであると同時に、みなで分かち合うべき無限の豊かさのひとつなのだと思った。
2013年7月11日、木曜日の夜。
わたしは、またひとつ大きな宇宙への扉を開けたのだった。