Archive for 2013年11月8日

祝☆酵素玄米

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念願の酵素玄米を初めて炊きました。

写真は、二日目のものです。

酵素玄米は、炊いたらジャーで保温して、二日目、三日目、・・・と熟成させていくというものなのですが、 (酵素玄米について詳しくは、こちらをどうぞ!) この熟成させていく過程が思いのほか楽しい。 まるで、自分が育てた野菜でもいただく気分!圧力鍋で炊いて、ジャーに移して、日に一度かき混ぜるだけなのにね・笑。

今朝なんて、ジャーの蓋をあけたとたん、湯気とともに一晩ねかせて瑞々しくなった酵素玄米の様子に感動! 科学的にはわかりませんが、昨日とは違う酵素玄米の様子にハートがぷるん、と確信しました。

色も少し濃くなっているようです。

昨日、炊いた直後は、ちょっと水分を飛ばしすぎちゃったかなと思ったのですが。一晩寝かせただけでこんなに違うんだとびっくり。 歯ごたえもやさしくなって、お味もまろやかに。

もともと赤飯が好き!小豆が好き!

そんなわたしが、今年になって2度も、酵素玄米をいただく機会に恵まれました。

とてもおいしいので、ぜひ自分でも作りたいなぁと思っていたのですが、我が家には炊飯ジャーがなく(白米は鍋炊きです)、 本格的な長岡式を実践するには場所も道具もない。それに長岡式では量も多すぎるのです。

そこで、手持ちの圧力鍋と、小さい保温ジャーでもできないかな・・・と情報を探していたところ、 友人から、「わたしは4合で炊いているよ!」という話を聴き、 先日、実家に帰省した際にみつけた保温ジャー(炊飯器が壊れたという母と一緒にたちよった電気店でみつけた特価品です)で 挑戦してみたのです。

結果は大吉。

食の楽しみがまた一つ増えました。

茶碗一杯の酵素玄米と、お味噌汁と、漬物があれば、とっても満足。

噛むほどに、内に広がる感謝と喜び。

ひとりランチも、ゆたかな気持ちでいっぱいです。

わたしが参考にした酵素玄米レシピです。

こちらは、友人が紹介してくれたサイト。

こちらは、わたしがお米を取り寄せている(小豆と塩もこちらで購入しました)マイセンさんのもの。

そして、本家、長岡式酵素玄米は、こちらになります。
 

その後も、3日目、4日目と、おいしくいただいております。白米なら、ジャーに保温しておくとぱさぱさになってくるのに、酵素玄米は日に日に色が深まり、玄米ももちもちと柔らかくなっていきます。毎朝ジャーを開けたときの「生きている!」感がたまりません!

母とレイキ

TS3U0167父の入院が思ったよりも長く(わたしがちゃんと予定を聞いていなかっただけですが)、母の体力が持つかなぁと思って連絡を入れました。

もう70歳にもなる父と母です。普段からふたりで役割分担をして暮らしてきていましたから、家中のことを一人でして、病院に行って、 というのは大変だろうなぁと。

すると意外にも電話口での母の第一声が元気で安心しました。 大変だとはいうものの、声に張りがある。

声というのは、その張りや響きでその人の元気度がわかるものです。

わたしも、時間を見つけては、父母に遠隔をしているのですが、なかなか興味深い観察をさせてもらっています。

入浴中の湯船の中とか、寝る間際とか、バスや車の助手席など乗り物に乗っている時など、細切れの時間を活用しているのですが、 母が毎日1時間以上、父にレイキをしっかりしておいてくれるおかげで、遠隔がとてもしやすいのです。

わたしは、ヒビキという感覚のほかに、自分の体の中を通して、レイキを必要としている箇所の情報をイメージで立体的に受け取ります。 とりわけ遠隔ではこの情報がとても役に立つのですが、先方がレイキに馴染みがなかったり、気が充ちていない場合、 その情報を受け取るのに時間がかかったり、奥深い情報が出てくるのに手間を要することがあります。

父の場合、母が毎日しっかりとレイキをしておいてくれるおかげで、その情報がとても得やすいのです。と、同時に、気が充ちている様子も つたわって来るので、あぁ、ちゃんと毎日レイキをしてもらっているんだなと安心できます。

また、おもしろいのが、母の弱点である腰周りを中心に遠隔をすると、レイキを実践している母自身のエネルギー状態もとても良く (これは、過去に何度も母に遠隔させてもらった体験と比べてのことです)、 母が父に手を当てている部分(主として胸部から鳩尾のあたり)が活性化されているのがわかるんですね。

もともと母は何かに集中しているのが好きなタイプで、ぼうっとリラックスするのがとても苦手です。そんな母が、一念発起して 父のためにレイキをはじめてからというもの、自分の体にも変化を感じているそうです。

病院でベッドの父に最低でも一時間はじっくりと手をあてることで、自分にとってもとても良い休息になっているというのです。(ヒビキとしては、じんじんとか、時々痛みを感じたりするそうです。)

まぁ、レイキ的に見れば、父にレイキをすることで母自身にもエネルギーがチャージされているということと、ふだんから集中状態(緊張状態) になりやすい母の体がリラックスすることで、気の流動性がアップし心身のエネルギーの状態が改善されているのでしょう。

母の電話の第一声が元気だったのも、レイキによる効果の表れだったのかもしれません。

「痛いところがあるんならそこでレイキしてれば?」と、何度となく助手席に座る母に勧めてきたわたしですが、いつのまにか、母の手は その体から離れてしまっているという繰り返しでした。 好奇心旺盛な母にとっては、おとなしく自分に手を当てているより、窓越しに映る風景を追いかける方がうんと楽しかったのでしょうね。

こうして、レイキの良さや効果を母なりに認識しつつあることが、今、とてもうれしいです。
 

写真は、先日お誘いを受け楽しませていただいた舞台ぶっせんのエントランスでみた花環の数々。一体の壁が花で埋め尽くされ、その香と、花々の醸し出す精妙なエネルギーに圧倒されました。舞台は抱腹絶倒のコメディ。袴田さんいい味だしてました!執着という状態が創り出す人間のありようが滑稽で、失笑しつつも、舞台上の彼ばかり追いかけていました。昔の自分を見ているみたいでね・笑。

 

○○○山での修行

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父が入院するというので、五日ほど実家に滞在してきました。

バスと新幹線、電車を乗り継いで・・・。コロコロとキャスター付きバッグ(我が家での愛称はコロコロです・笑)を従えて、こんな風に一人で帰省するのは はじめてのこと。

今回の帰省で、母と二人きりで数日間を過ごすことになりました。

二日目の朝、朝日が差し込むリビングに降り立った時、精妙なエネルギーとともにこんなことを確信しました。

わたし自身が場であり、世界であり、宇宙である。 なにがあっても、どこにあろうと、なにものも、わたしを侵すことはできない。 あるとすれば、それを自分が容認した時だけである。

新幹線での移動は、普段の車での移動に比べて格段に楽なので、仕事をみつけて積極的に動くことができました。

犬の散歩もそのひとつ。普段は生き物をこよなく愛する父がかわいがっているメスのシバ犬を、朝晩散歩に連れて行きました。 犬と心をあわせてるんるんらんらん!

あ~。わんちゃんってこんな気分なのね。と感じながら、昔懐かしい道を歩くのは感慨深いものがありました。

病院への行きかえりで見た街のポスターでは、高校の同級生の顔と名前を見て、政治家になっていることを知りました。

母とわたし。それぞれにできることを淡々とこなしながら、同じ家で過ごすひととき。

母の手料理に舌鼓みし、お茶を飲みながらのひとときでは、表情豊かに語る母を眺めながら、この繊細な人をわたしは守ってあげたい、 と思いました。

そん風に感じた自分の心持ちが面白かった!!!ちっとは大人になったのかなぁと・笑。

なんせ、子どものころは、おつかいはおおかた妹に押し付けていたし、大人になってからも犬の散歩には非協力的だったわたしです。

それが、犬とのひと時をいとしいを思い、自分ができることで人様のお役にたてる喜びをひそかに感じていたのですから。

ようやく、こういう気持ちになれたことにほっとしたのと同時に、「人の役に立つ」ということの神髄に ほんの少しでも触れたような気がしました。

そしてまた今回の大本命は、父にレイキをすること。術前・術後にしっかりレイキをし、母にまでしっかりレイキを教えてきました。 このくだりはこちらにつづっていますので、よかったらご覧ください。パート3まであります。

父は、レイキにはまったく関心がなく、過去に何度かさせてもらったことはあるけれど、しっかり感想を聞いたこともありませんでした。 今回も、積極的に感想を聞くことはできなかったけれど、レイキを受けるとあたたく感じるということと、呼吸が楽になる感じがある、 というくらいは聞き出すことができました・笑。

まぁ、レイキをさせてもらっていると、父がレイキにとても受容的なのがわかるので、もう言葉などいらないのですけれどね。

術後はほっとしたのか、すっきりと穏やかな父の眼差しがとても印象的でした。

実は、今までは、旅に出るとか、移動するとか、自分の家からどこかに出かけるのは苦手でした。 とくに泊りだと荷造りが面倒で!それに電車だと荷物も重い!

それが、この10月に始めていた「かたずけ祭り」のおかげで、荷造りも荷解きも超簡単! また、家族が展示品現品限り半額でゲットしてきたコロコロのおかげで電車の移動もらっくらく!

あ~。フットワークがものすごく軽くなったんだなぁとう喜びをかみしめながらの旅となりました。

そして、帰宅するなり、家族に一言。「○○○山」に修行に行ってきたよ。(○○○にはわたしの旧姓が入ります。)

最初は?顔の家族でしたが、帰省中のこんなエピソードを話したら、それは○○○山での修行だったねぇ、と笑ってくれました。

そしてね。何気ないひとことに家族の優しさを感じるので、思い切って聞いてみた。

「心境の変化でもあったの?」と。

なんと、わたしがいないという体験で、わたしが居ることのありがたさが身に染みたのですって。

めでたし、めでたし^^☆

写真は、父の愛犬のシバ犬と。念願かなって、やっと抱っこさせてもらいました。

 

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