いつもの木陰での太極拳。
今日の套路では、これまでにない伸びやかな肢体の動きに、我ながら感動しつつ、よくもここまで柔軟になったな・・・という心地よい感慨とともに、套路を進めていました。
この時、わたしの中に、真っ赤な実をたわわに実らせた大きなトマトの樹のイメージが浮かんでいました。
そうだよね、際限なく自由に伸びていっていいんだよね。という感覚とともに。
実は、このトマトのお話。
昨日、かわいい後輩から聞いたばかりなんですが。
どうやらハイポニカ農法のトマトらしいです。
好きなだけ大きくなっていいよ
という心で育てると、トマトの木がどんどん大きくなって、一粒の種から1万数千個の実がなるトマトの巨木となるのだそうです。
このトマトについて興味がある方はこちら、あるいはこちらのリンクをどうぞ。
さまざまな視点があるかとは思いますが、一人の研究者が植物との対話を通じて生み出した世界観とその創造。とても興味深いです。
わたしは、今日の套路で、そんな風に語りかけられて育つトマトの気持ちがわかった気がしました。
と、同時に、意識的にせよ無意識的にせよ自分が自分に課している制限(あるいはブロック)というものの意味を、体で理解した瞬間でもありました。
すると、そんなことを感じていた套路(85式なので結構長いです^^;)も終盤にさしかかった時、なにやら黒いものがわたしにまとわりついてきました。
そして、時々、動いているわたしの腕の中に入ってくるんですね。
それは、ひとひらの蝶でした。
めだたない地味な色合いの蝶でしたが、戯れるようにしてわたしの間近を飛んでいるわけです。
ひゃぉ、これは、極上のエネルギーワークだなぁ・・・。
わたしのエネルギーフィールドの中に、まるで波紋のようにしてつたわってくる、その小さな命の存在感。(音がする訳ではないのですが、たとえば、音叉など鳴らした時に、響いてくる体感に似ているとも言えるでしょうか。)
命と命が響きあって、そこに「ことば」はないのだけれど、互いが対等にひとつの世界に存在する安心と信頼。
その小さな羽ばたきは、そのままわたしの生きる喜びと共鳴しあっているようでした。
そこには、ただひとつの命がありました。
ひゃぁ、これは、たまらんわぁ。
今までにない歓喜と体感とともに套路を終え、丹式(いつも終わりに行う呼吸法です)を終えても、まだいらっしゃる(笑)。
そこで、どうぞ、という気持ちで、胸の前で、両方の手のひらを合わせてお皿のようにして差し出してみると・・・。
いらっしゃいました^^。
蝶が好きとはいえ、こうして、手のひらに止まってくれたなんて初体験。(写真で、むかし、太極拳の先生が蝶を手に留まらせているのを見て、いいなぁと思っていました。)
あー、カメラは持ってないし、両手はふさがっているし・・・。
この光景をできるものなら本気で念写したい、と初めて妄想しましたね(笑)。
その後も、風が体にまとわりつくように、わたしの周りを飛び回り、手のひらに止まりに来たり・・・。
何度も繰り返したあと、さいごは、ちょうどわたしの右側の体側(高さとしては肝臓のあたりかな)がお気に召したようなので、しばらく、手をかざしてみました。
それでも、まだいらっしゃるので、わたしが歩きだすと、程なく元気に羽ばたいていきました。
羽の縁には若干のほころびがあったので、成虫になってかなり日数がたっていたのかもしれません。手をかざした時には、最初に短い間でしたが、ずんと重いヒビキを感じました。
いままでにない宇宙との響きあいに、自分の変化を感じると同時に、自分はこれからどんな風に成長していくんだろう・・・という未知なる可能性になにやらわくわく。
年を取るほどに子供になっていく、40も過ぎたおばさんであります(笑)。
冒頭の写真は、わたしのお気に入りの木陰です。
そういえば・・・。
蝶とのこんなにも深~い邂逅をさせていただいたのは、昨日こんな写真をとっていたからかな(笑)。
ヒーリングのお部屋のディスプレイをチェンジしたらかわいくって、つい^^。