レイキの歴史
★ 霊気→Reiki→ レイキ
臼井氏により偶然発見された霊気が、幸運にも戦前に、ハワイを経由して世界へと広がっていきました。この機を逸していたら、霊気がReikiとなって世界へと伝わることもなく、霊気は、ほんの一握りの人たちだけのものになっていたかもしれません。
ここでは、霊気が誕生し、Reikiとなって世界へひろがり、レイキとして再び日本で認知されるまでを簡単にご紹介しています。
レイキは、1920年代に臼井甕男(ウスイミカオ 1865-1926)氏が偶然に発見しました。
臼井氏は、宇宙間に存在するものはことごとく霊気を宿していると悟り、存在の根源であるそのエネルギーを「霊気」と呼びました。
- 1922年3月、悟りを得るために鞍馬山で21日間の断食修行をした際、霊気による治癒能力を感得。
- 1922年4月、東京の青山原宿に臼井霊気療法学会を設立し、霊気による治療や普及活動を開始。
翌年の9月に起きた関東大震災では多くの負傷者を救済したそうです。
- 霊気を誰でも使えるようにと研究を重ね、「霊授」を開発。
現在の「アチューメント」はこの霊授が変化したものです。
- 1926年3月に亡くなるまでのわずか4年の間に、世界中に霊気がレイキとして広まる基礎を築く。
霊気は、戦前にハワイに伝わりReikiとして欧米を始め各国に広がっていきました。
- 1925年、臼井氏門下の林忠次郎氏(1879-1940)が、東京信濃町に霊気治療所を開設。
林氏は臼井霊気療法をベースに、独自の技法と理論を加え林霊気療法を確立しました。
- 1935年、ハワイ在住の高田はわよ氏が、難病の手術のために来日。
内なる声に従い、手術を取りやめ、主治医の紹介で、林氏の治療所で治療を受ける。2ヶ月で元気になり、8ヶ月ほどで完治。(このエピソードが、慢性のもの、症状が重いものにはコツコツとレイキをして効果をだしていくというレイキの特性をよく物語っていますね。)そのまま、林氏のもとで弟子とし一年間働いた後帰国し、その後、ハワイにてレイキクリニックを開きました。1980年12月、80歳で亡くなるまでに22名のレイキ指導者を養成しました。この22名の人たちが団体を形成し、レイキを広めていきました。
- 1980年代後半になって、西洋で普及したレイキが日本に流入しはじめる。
- 1993年から、ドイツ人Frank Petter(フランク ペッター)氏によって、本格的なセミナーが始まりようやく一般の人にもレイキが伝わるようになりました。
現在の日本のレイキ
現在、日本で実践されているおもなレイキです。
- 海外から流入してきた西洋レイキ
- 日本国内で続けられてきた伝統霊気
- 土居裕氏が提唱する現代レイキ
上記の他にも、個人や団体が新たな概念や技法を加えるなどして、さまざまに発展したレイキがあります。
ヒーリングをメインとして発達した西洋レイキは、過去や未来、物などにも積極的にレイキを使っていく傾向があり、レイキを活用する範囲が格段に広がりました。
その反面、独自の発展を遂げる中で抜け落ちてしまった伝統霊気の技法もありました。伝統霊気で重んじられていた「ひびき」の技法が伝わらなかったこともその一つです。
現代レイキは臼井霊気療法学会の小山君子氏から指導を受けた土居裕(ドイヒロシ)氏が、伝統的な霊気の技法など一部を西洋レイキに復元し、提唱したものです。
伝統霊気の流れをくむものとして、「臼井霊気療法学会」の他に山口忠夫氏の「直傳靈氣」があります。
風の城のレイキ
風の城では、西洋レイキをベースに、伝統霊気に伝わるヒビキの技法を取り入れて、暮らしに役立てていくレイキをお伝えしています。
どんなものにもレイキを使ってみようと独自の発展を遂げた西洋レイキ、実践を重んじる伝統霊気の精神性。双方の長所を生かし、今の時代に則したレイキをお伝えしていきたいと思っています。