子供たちの音色
姪のピアノの発表会を観てきました。
姪が今のお教室に移ってから、去年に引き続き2度目の発表会でした。
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子供の音はいいですね。
澄んでいてとてもきれいです。
その音を聴いていると、今にも自力で立たんとする小鹿のイメージが湧いてきました。
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中には、はじめて自分で作詞した歌を、お友達のピアノ伴奏で披露した男の子も。
映画「マイ・フェア・レデイ」の劇中歌、「踊りあかそう」のメロディにのせて、「ぼくはサッ~カーが~、大好き~です~♪・・・」とその第一声を聴いた時、伸びやかで透明感のある、とてもきれいな歌声が、わたしの心に飛び込んできました。
そして涙が溢れました。
それは目頭が熱くなる程度ではすまず、涙があふれ出し、子供のようにむせび泣いてしまいました^^;。
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歌詞は、「サッカーが大好きで、つらいこともあるけれど、強くなって試合に勝ちたい!」という内容でした。
自分でも、なぜ、それほどまでに涙が出るのかまったくわかりませんでしたが、素直な今の自分の気持ちをそのまま歌にした、という彼の純粋性に、わたしの心の奥底にもある透明な領域が深く揺さぶられ共振したのでしょう。
この日は、彼の登場以外にも、子供たちの純粋性にふれて、ふっと涙ぐんでしまう、ということが何回かありました。
おもしろいもので・・・。
姪の登場で涙するってことはなかったんですよ、笑!
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癒しって、本当にある時突然おとずれます。
心の琴線に何かが触れた時。
いつの間にか、かたく閉じたまますっかり忘れていた心の奥底の扉をノックされた時。
なにかに触れて、自分の心の花びらが、まるで陽の光に導かれるように花開く時。
許そう、許そう。
変わりたい、変わりたい。
そう思っていても、なかなか難しことがあります。
でも、本当の癒しを体験する時、それはいとも簡単に自然に起こります。
そして、それは、心の深くをやわらかにする深い感動とともにやってきます。
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このごろ、かつてないほどに子供が好きです。
彼らと対等にコミュニケーションする感覚が妙に心地よいのですよね。
そんな風に感じていたからでしょうか・・・。
まだ完全には教育されていない子供たちの純粋性、心のやわらかさ、自由さ、これからの可能性、・・・。
そこに、わたしたちの根源的な在りようが示唆されていたからこそ、こんなにもゆさぶられたのかな、と今は思います。
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わたしにとって、癒しの発表会となった翌朝、公園で体を動かしてみると、自分の心身にも柔軟さが増していることに気が付きました。(本質的な癒しは、エネルギーの凝りをほぐし、流れを豊かにします。)
ハートフルな秋の始まりです。